裁かれる人から、裁く人へ [疵痕]
裁かれて育った人間の最大の不幸は、
当たり前のように他人を裁いてしまうことだ。
親子関係は、人間関係のベースになる。
どれだけ、憎んでいようと、嫌っていようと、
否応なしに、支配されてしまう。
表面的な行動では、親とは別の道を進んでいるつもりが、
裁くという行動原理は、しっかりとすり込まれていた。
両親とは、表現は違えども、
裁く人であるという根っこの部分で同じ穴の狢だった。
こうであるべきというスタンダードを相手に一方的に押しつけて、
相手がそこから外れるとストレスに感じる。
ストレスが臨海レベルに達すると、正義の刃で相手を容赦なく断罪する。
裁く人間は、当たり前のことを我慢したあげくに、
控えめに主張しているつもりでいる。
正義は自分の側にあると盲信しているが故に、手加減がないし、
相手の言い分を頭ごなしに否定することになる。
自分の正義を他人に強要する時点で、俺は間違えていた。
独りよがりの正義を捨てて、他人を裁くのを辞めない限り、
まともな人間関係が育つはずがない。
何カ月か前、katuoさんのブログと出会い、ファンになりました。
katuoさんの洞察力と「自分」に向き合うことから逃げない強さを尊敬します。
僭越ですが、いままた、一つ「殻」を脱ぎ捨てようとされているのではないかと感じます。
どんなに苦しくても、よりよき変化(=進化・新生)は人間にとって至上の喜びだと思います。
by P.Tree (2007-04-28 03:53)