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個人を犠牲にする和などイラン [家庭論]

日本の社会では、「個人」や「自我」などが、
「和」を乱す悪いモノをとらえられている。
「和」のための個人の自己犠牲が美化される。

でも、「和」というものは、「個人」を犠牲にしてまで、守る価値があるものなのか。
自分を犠牲にするような社会に参加する義務があるのだろうか。

日本の家庭は、妻の忍耐の上に「和」が成り立つ場合が多い。
誰かの我慢で成り立っている家庭は、人間関係の力学が崩れるともろい。

「個人の幸せ」が「和」を乱す場合には、「和」のあり方を変えるべきだ。
家庭はこうあるべきという先入観を捨て去ること。
家庭という小さい社会においては、
構成員全員が幸せになれるような「和」は可能だと思う。


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