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すぐに許そうとする奴を信用するな [信じる者は救われない]

すぐに許そうとする人間ほど、過去のことを根に持つ傾向がある。
そして許したはずのことを蒸し返して、キレたり、復讐したりする。
許そうとすればするほど、逆に執念深くなるという逆理。
これはいったい、どういうわけなのだろう?

世の中では、許すことの重要性ばかり強調されているので、
ほとんどの人は許すことは無条件に良いことだと信じている。
だから、その限界・短所・欺瞞に気づかない。
「許すこと」は、本当に良いことなのだろうか?
許すというのは無意識に行うことであって、
「許そうと思って、許すこと」は百害あって一利なしだと思う。

人間は、どうでも良いことであれば、いくらでも許すことが出来る。
しかし、尊厳を踏みにじられた時に、笑って水に流すことはできない。
もちろん、笑って水に流すポーズはできる。しかし、心の中は傷ついたままだ。
すぐに許す人間は、義務感から対外的に許したことにしているだけで、
本質的な心の傷は全く癒えていない。
むしろ、問題を意識の外に押し出すことによって、
わだかまりは無意識へと蓄積される。
これは心理学的にはとても当たり前な話なのだ。

人間は「まあ良いか」と思えることしか許せない。
「許さないといけない」と思う時点で、それは許せないのだ。
許そうと努力したところで、わだかまりが蓄積されていくだけだ。
だから、すぐに許そうとする人ほど、過去のわだかまりを根に持つことになる。

中途半端に許したつもりになるのはとても危険なのだ。
頑張って許そうとするぐらいなら、
許せない気持ちを意識して、きちんと憎んだ方がよい。
憎んだとしても、何らかのアクションを取る必要はない。
心の中で憎んでいるだけで、徐々にどうでも良くなって忘れてしまうのだ。
この場合は、わだかまりは無意識にも蓄積しない。
意識の上では許していないけれど、後腐れ無く忘れられる。
人間の心には、自然治癒能力が備わっているので、
ちゃんと憎んでおけば、ほとんどの問題は時間が解決してくれる。
無理に許す必要など無いのだ。

時間では解決できない深い怒りに対しては、対象に罪に問うべきだ。
きちんと罪をあきらかにしなければ罪を許すことはできない。
何がどう間違えていたかをお互いに確認した後でなくては、水に流しようがない。
充分な追求をせずに許すことは、自分に対する理不尽な振る舞いを正当化することだ。
それは、自分は理不尽な扱いをされても仕方がないと認めることに他ならない。
自分をそういう風に粗末に扱うのは良くない。

憎しみというのは、コンプレックスが絡むので理不尽な場合も多い。
自分にとって、いかに正当な怒りに思えても、他人が理解できるとは限らない。
話したところで、相手が理解してくれるとは限らない。
人によっては「そんなことで傷つく方がおかしい」と言うかもしれない。
善悪の基準は人によって全く違うし、個人の想像力にも限界がある。
まあ、これは価値観の違いだから、仕方がない側面である。
理解できないのはお互い様なのだ。
決定的に価値観が違う場合、袂を分かつのがお互いのためだ。
自分を変えようとか、相手を変えようとかしても無意味だ。
自分か相手を曲げてまで一緒にいる必要がある人間などいない。
たとえ、親子、夫婦であろうとも。



俺が思う正しい憎み方は以下の通りだ。
心の中で憎む → 憎しみを相手に伝える → 談判決裂なら自己防衛策をとる
自己防衛策といっても、相手との接点をなくすぐらいかな。

俺は、復讐行為はすべきではないと思う。
自分の正義は、他人の正義ではない以上、復讐する権利はない。
ただ、将来のストレスを避けるために距離を取る権利はある。

許さないといけないと信じている人は、
許さないと怒りに駆られて復讐をすると考えているようだが、それは違う。
ちゃんと憎んでいる場合、復讐が必要になる事はまずない。
むしろ、許したことにして、憎しみを蓄積していけば、
遅かれ早かれ、憎しみが許容水準を超える。
そのときに、人はキレて復讐をするのだ。
キレる人間は常に自分が正義であり、正当な復讐だと思っている。
復讐という言葉の背後には、自分が正しいという前提があるが、
その正義とやらは主観的なものであることを忘れてはならない。

「こんなに我慢したのに」といってキレるぐらいなら、
最初から我慢すべきではない。
そもそも、時間差で相手にぶつけるなら、我慢したことにならない。
墓場まで持って行って初めて、「我慢した」とか「許した」とか言えるのだ。

文句があるなら、その場で言うべきなのだ。
そうすれば言われた側もすぐに訂正する機会があるし、
一つ一つの摩擦は小さくて済む。
そういう摩擦から逃避することを、許すと言う美徳にすり変える。
でも、現実逃避しているだけだから、実際には何一つとして許せない。
自分が現実逃避をして人間関係を悪化させておいて、
にっちもさっちもいかないぐらい人間関係が悪化すると
自分は我慢をしたのに相手が悪いとおかしな理屈をつけてキレるわけだ。
こんなことをされたら、人間関係は絶対に壊れる。
そして、自分で壊しておいて、自分が被害者だと信じて疑わない。。
短期的な摩擦を避けることが出来ても、
長期的な人間関係を築けない原因はここにある。

許す人間、我慢する人間は、
執念深く、独善的で、非寛容的で、復讐が大好きで、
人間関係を不必要にこじらす原因となる。
建設的な人間関係を育てるためには、
ちゃんと憎む技術を身につけなくてはならない。
そして、許す人間、我慢する人間を避けること。
これが鉄則。


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コメント 8

s

その場をうまくおさめたつもりが、あとになって、じわじわ起こってくる悔しさ怒りの感情は、自分自身の内にある相手への期待が報われなかった時であって、自分を知らない自分に向き合うことを初めてきがつきました。
by s (2005-10-16 08:18) 

lunaluna0709

すごい。
「憎しみ」って強い感情だけれども、表現がしづらいもの。
だから、水に流したふりをしてしまう。とりあえず、そっちのほうが簡単だから。だけど心の憎しみは蓄積していく・・・

私はこんな事の繰り返しです。
目を背けたくなる感情だけど、きちんと向き合っていく事が結局自分の為なんでしょうね。

社会生活を営んでいく上で上手に「憎む」って私には難しそうだけど。
by lunaluna0709 (2005-10-16 10:13) 

まどか

おかしなことに私は、相手のことが憎い時、腹が立つ時、
「こんな程度のことで憎んでいる私は変か??」
「こんな程度のことで怒る私は短気過ぎるか??」
と自問自答します。熟考の末、「いや、これはどう考えても
あっちが悪い(おかしい・軽率だ・・・etc)」と思えたら相手に
抗議しますが、当然、時間がだいぶ経った後なので、向こうには
唐突&不当な批判に思えるのでしょう。私も溜まりに溜まってから
爆発しているので怒り方が相当激しくなっています。それで
たいてい険悪な仲になり、結果、二度と会えない関係に・・・
「縁切り」に・・・なってしまいます。

その場その場で反論や抗議ということができません。
「縁切りにならない程度に怒る」というのをどうやったらいいのか
なかなか分からないのです。
怒ると上記のようなことになるのが分かっているので、
私の中で「自分が怒る時は相手との縁が切れてしまう時」という
図式ができてしまっていて、どんなに理不尽なことがあっても
怒れないのです。
既に友達は数少なく、この人までいなくなったらもうほんとに、
誰もいなくなってしまう、という恐怖があります。
でもそれで結局、学生時代は相手にナメられていじめられる
こともあり・・・・
今は相手にバカにされて相手にされなくなっていく・・・

多分、自分の判断に徹底的に自信がないのだと思います。
このことをずっと、何年も悩んでいます。
最近は「イヤな相手からは距離を置く」ということができるように
なり、「縁切り」にまで短絡的に行かずに済んでいますが・・・
本音でつきあえる友達、というのは一人もいません。

katuoさんは(家族以外の、リアルでの)ムカつく相手には
どうやって抗議されていますか?喧嘩にならない程度に「俺は
そういうこと言われるとムカつくんだ」ということをどう表現しますか?
お聞かせいただければ幸いです。

長文になってしまい、すみません。。
by まどか (2005-10-17 09:24) 

サラ

>心の中は傷ついたまま
「我慢=許し」ではないのですよね・・・。
憎んだり怒ったり悲しんだりしているからと言って
自分の全てが憎しみや怒りや悲しみになってしまうわけじゃない。
だけど、自分の一部が憎んだり怒ったり悲しんだりしていることを
小さな事だから、と見て見ない振りをし続けるのは、
何の解決にもならないんですね。
「ある」のに「ない」って言ってるだけなんだから。
いつもkatuoさんのblogを読むと改めてそう思います。
自分の中の憎しみや怒りや悲しみに向き合って、気が済むまで
憎んだり、怒ったり、悲しんだりしていくしかないんだろうな・・。
でもそういう気持ちを心の中に持っているからといって、
それが消えない限り幸せになれないわけじゃないし、
その憎しみや怒りや悲しみとは違う部分で幸せになっても良いんだし!
最終的には自分の心に残ったしこりみたいなモノとの格闘に似てるな、
と、コレを書きながら思いました。カサブタのような・・・・。
対象が目の前からいなくなっても、今も自分の心の中に残っている
何だか心地よくない感じとの長い戦い・・・みたいな。
いつか心に傷跡が残っても、もうカサブタをめくっても血が出ない。
確かにココに傷があったことは、傷跡を見たら思い出すけど、
もう痛まない、ってなるまでにはそうとう時間がかかりそうですが・・・。
そうなったら許せたって言えるかな。
なかなか燃え尽きないロウソクにも似ているようなイメージでもありますね。
くそ~! 早くなくなれ~~~!! と思うとやたらメラメラしてきて
でもそのロウソクは、なかなか燃えて行かず、苦しい(笑)
でもカサブタでもロウソクでも何でも、何か心の中に
今もあるって分かってればそれをどうにかしようって事に
専念できますからね・・・。
う~ん、毎回纏まりませんが・・・スミマセン!
by サラ (2005-10-17 16:57) 

katuo

sさん
なにをもってうまく納めるというのかを熟考した方がよい。
人によっては、摩擦を避けて、泣き寝入りすることを、
上手く納めるだと思っていたりする。

kokoroさん
その場では、見て見ぬふりをするのが一番簡単です。
でも、長期的にみると、ね。
by katuo (2005-10-18 05:27) 

katuo

まどかさん
>おかしなことに私は、相手のことが憎い時、腹が立つ時、
>「こんな程度のことで憎んでいる私は変か??」
>「こんな程度のことで怒る私は短気過ぎるか??」
>と自問自答します。
まず最初にひとつ。人間とは、変で短気なものです。
どんなに理不尽な事であっても、希望を出すのは自由です。
もちろん、相手がそれに応えてくれるかは不明ですが。
とにかく、言うことです。
言ってもらえば、相手だって「この人はこれがストレスなのか」とわかる。
言わずに恨む人よりも、早めに言ってくれる人の方が付き合いやすいです。
理不尽な要求にも、負担にならない範囲で応えてくれるのが、良い関係。
理不尽だと説教をするような奴は、器が小さいです。

>熟考の末、「いや、これはどう考えても
>あっちが悪い(おかしい・軽率だ・・・etc)」と思えたら相手に
>抗議しますが、当然、時間がだいぶ経った後なので、向こうには
>唐突&不当な批判に思えるのでしょう。私も溜まりに溜まってから
>爆発しているので怒り方が相当激しくなっています。それで
>たいてい険悪な仲になり、結果、二度と会えない関係に・・・
>「縁切り」に・・・なってしまいます。
>その場その場で反論や抗議ということができません。
>「縁切りにならない程度に怒る」というのをどうやったらいいのか
>なかなか分からないのです。

昔のことで責めるのは禁じ手ですね。人間関係を悪くするだけ。
そんなことをしたら、破局して当然です。

自分の正義を振りかざして、相手の過去を責めるのではなく、
人間関係をより良くするための方法を一緒に考えるべきです。
そのための言い方には注意が必要。

1.こういう事実がある(第三者的な描写)
2.そのとき、自分はこう感じた(相手ではなく自分の問題)
3.だから、こうしてほしい(希望であって命令ではない)

>怒ると上記のようなことになるのが分かっているので、
>私の中で「自分が怒る時は相手との縁が切れてしまう時」という
>図式ができてしまっていて、どんなに理不尽なことがあっても
>怒れないのです。
俺は逆。何かを言うのは、相手との関係を改善したいときのみです。
縁を切ろうと思ったら、何も言わない。
他人になるなら、何かを言ってもしょうがない。

>katuoさんは(家族以外の、リアルでの)ムカつく相手には
>どうやって抗議されていますか?喧嘩にならない程度に「俺は
>そういうこと言われるとムカつくんだ」ということをどう表現しますか?
>お聞かせいただければ幸いです。

俺は顔や声に感情がストレートに出るので、サルでもわかると思います。
それは、善し悪しだと思います。(悪しが多いかな)
妻以外の人間とは、喧嘩をしてまで解り合う必要は無いので、
ストレスに感じれば距離を取ります。
by katuo (2005-10-18 05:28) 

katuo

サラさん
>憎んだり怒ったり悲しんだりしているからと言って
>自分の全てが憎しみや怒りや悲しみになってしまうわけじゃない。
>だけど、自分の一部が憎んだり怒ったり悲しんだりしていることを
>小さな事だから、と見て見ない振りをし続けるのは、
>何の解決にもならないんですね。
憎しみも悲しみも、向き合うことで溶かしていける。
そういう力が人の心にはあります。
だから、自分の内面とちゃんと向き合う人は時間が全てを解決してくれる。
でも、自分の負の感情から逃げる人間は、負の感情をため込んでしまう。
時間がたつとどんどん追いつめられていく。
そして、追いつめられたときには、心がゴミで一杯になっていて、
整理しようにも充分なスペースがない。

>いつか心に傷跡が残っても、もうカサブタをめくっても血が出ない。
>確かにココに傷があったことは、傷跡を見たら思い出すけど、
>もう痛まない、ってなるまでにはそうとう時間がかかりそうですが・・・。
>そうなったら許せたって言えるかな。
人は嫌々許したことは忘れない。だから、いつまでも縛られる。
水に流すためには、許さずに、忘れること。
体のけがも心のけがも、時間をかければ、きれいに直るのです。
直ってないのに、痛み止めを打って直ったつもりになるから悪化する。
だから、俺はどんなに些細なことも、絶対に許しません。

>う~ん、毎回纏まりませんが・・・スミマセン!
外部からの刺激で、頭に波紋が起こると、思考は乱雑になる。
そういうときに、今までとは別のアイデアが浮かんだりする。
だから、纏まらないぐらいで良いのです。
俺の文章を読んで、なにやらもやもやとした物が読者の頭に浮かべば、
俺的には大成功。後は受け手の内面の問題。
by katuo (2005-10-18 05:42) 

まどか

お話、お聞かせ下さってありがとうございます。
やっぱり時間が経ってから「あの時私はムカついた」なんて
言われてもムカつくだけですよね^^;
根本的に私はカッコつけで、見栄っ張りで、世間体を気にし過ぎ、
なんでしょう・・・嫌われるのが怖い臆病者ですし・・・だから相手に
怒っている姿を見せるなんて”みっともない””危ない”行為はできない
と思って怒らずに済ませて、その場は穏便に済ませてしまう・・・で、
心に怒りを溜めるんですね。
でも逆に「縁切りにならない程度に喧嘩する」って難しいです。
私が頑張って喧嘩してまで解り合いたいと思っていたとしても
相手はそうじゃない、喧嘩するなんてウザいしめんどくさいから
縁を切るとか距離を置きたい、と思う人多いみたいな気がします。

だからkatuoさんのように、他人に腹が立った場合は、
「顔や声にストレートに出」せばそれが一番良いのかも知れません。

ふと思ったんですが、日本人って「話し合い(議論)」とか「喧嘩」って
実際にはあんまりしないことないですか?上にも書きましたけど、
そこまで熱くなれない人が多いというか、めんどくさいというか・・・
by まどか (2005-10-19 16:51) 

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