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現実逃避 [闘わなきゃ、現実と]

風邪ひいてダウン

したかったけど・・・
こんな日に限って、抜けられない仕事があって、出かけてました。
そして、現在、〆切間近の仕事に追われてます。
泣きたいです。やばいです。
blogに現実逃避している場合ではないのです。
はぁ。


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癒し・救い・答えに逃げるな [闘わなきゃ、現実と]

癒しなんてない。
救いなんてない。
答えなんてない。
絶望だけが義務だ。


と、blog紹介文に書いたが、これは「逃げずに生きる」という意味だ。

弱い人間は、厳しい現実から目をそらして、
癒しや救いや答えを求めて、ますます弱くなる。

癒しなど無い
生きるというのは傷つくことだ。
癒しとは心の傷に対する痛み止めのようなもので、
痛みを和らげるけれども、傷を治すわけではない。
痛みをごまかして、適切な処置をとらなければ、
結果として、傷の悪化につながる。
癒しは、問題解決に役立たないばかりか、
傷の存在を曖昧にすることで、問題解決を妨げる。
癒しは、麻薬のようなもので、使えば使うほど、より強い癒しが必要になる。
安易に癒しに逃げたものの末路は、癒しジャンキーだ。

救いなど無い
救いとは何だろうか。
ある人にとって、救いとは都合良く自分を助けてくれる他者だろう。
これは、他者への依存にすぎない。
救われようと思ったら、自分の足で立って戦わなければならない。
自分で戦いもせずに、救われようと言うのは虫が良い話なのだ。
また、別の人にとっての救いとは、救われない現実を都合良く脚色して、
問題など存在しないと思いこむことかもしれない。
意識の上では問題が解決なのかもしれないが、現実は何も変わらない。
「だまされてるんじゃない?」とアドバイスすると、「縁起でもない」と答えるのが、このタイプ。
現実ではなく、バラ色に脚色された脳内世界に生きているので、
「なんであんなに見え見えの落とし穴に引っかかるかな」と、しばしば周囲をあきれさせる。

答えなど無い
生きるということは、迷うことだ。
生きている限り、十分な判断材料もないまま多くの決断を下し、
その責任を自分で負わなければならない。
フロムが指摘するように、選択の自由とは重荷なのだ。
選択の自由という重荷から逃げるために、指示待ち人間になる。
失敗は全て指示した人間の責任というわけだ。
指示待ち人間は、判断材料の代わりに、答えを求める。
オウム真理教は、具体的な答えを提供したので、
思考停止を希望する弱い人間が、大量に集まった。
迷いを捨てると言うことは、自由を捨てると言うことだ。
迷いがない人生に何の意味があるのだろう。
もはや迷わないという人間は、生きていても仕方がない。
答えが存在すると信じて、それにしがみつくのは精神的な自殺だ。

癒し・救い・答えというのは弱い人間の現実逃避の手段に過ぎない。
厳しい現実を、癒し・救い・答えでごまかすというのは、
沈みつつあるタイタニックのデッキチェアーを並べるようなものだ。
現実から逃避して、落とし穴に嵌り、さらに現実から逃避するという悪循環。
お花畑の妄想に浸っていても、目を開けば現実が待っている。

俺は、現実を生きなくてはならない。
傷つきながら、迷いながら、現実を直視して生きていくために、
絶望することを恐れない勇気を持ちたい。
それが生きるということだろう?


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怒りは魂からのSOS [闘わなきゃ、現実と]

痛みは不快な感覚だが、その存在意義は明確だ。
痛みがあるから、怪我をした場所を意識して庇うことができる。
痛みを感じないと、自分の体を守ることができない。

痛みと同様に、怒りもまた重要な感情である。
怒りがあるから、精神的なストレスを意識し、
自分の魂を守ることができる。
怒りを感じられなければ、自分の魂を守ることができない。

健康な人が痛みを感じないように、
ストレスがかかってない人は怒りを感じない。
痛みと同様に怒りは無意味に生じることはない。

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怒りの重要性 [闘わなきゃ、現実と]

人は理不尽な仕打ちに対して、強い怒りを感じる。
怒りは爆発的なエネルギーを与えてくれるので、
そのエネルギーを正しく利用すれば、
自分を守るために戦うことができる。

弱い人間は戦いを避けるために、
自分の怒りを無かったことにしようとする。
怒りを無視することは、自分の権利を放棄することだ。

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指示待ち人間という、過酷な生き方 [闘わなきゃ、現実と]

指示待ち人間は、いちいち指示しないと動かない。
当たり前のことも、言われないとできない。
そして、失敗は全て指示した人間の責任。

俺は、指示待ち人間から目をつけられやすい。
しばしば、「指示してちょんまげ」と手綱を渡される。
俺は自分の人生にしか責任を負えないので、
丁重にお断りするのだが、それが原因で恨まれたりする。

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強さは弱さに比例する [闘わなきゃ、現実と]

強い人間には大きく分けて2種類のタイプがある。

自分の弱さを否定する人間と、
自分の弱さを受け入れている人間だ。

前者は自分の弱さを否定したり隠したりすることで、
強い自分のイメージを作る。
強さを全面に出す人間の多くは、自分の弱さを極度に恐れている。
弱さが怖いから、強がっているのだ。
だから、今にも折れそうな堅い印象を与える。
見ていて、痛々しくなる。
「もっと、肩の力を抜いて良いんだよ。
強くなければ、生きられない訳じゃないんだから」
と諭したくもなる。
そんなこと言ったら、火のように反論されるだろうから、
絶対に言わないけどね。
この手の人間は、他人の弱さにも寛容ではない。
弱さ=悪という価値観に縛られているので、
弱さを受け入れている人間を見下したり、嫌ったりする。
弱さ恐怖症の人間は、扱いやすい。
「まさか、こんなこともできないような弱い人間じゃないよね?」
と言えば、多少の無理でも、頑張ってしまうからだ。

一方で、自分の弱さを受け入れた人間は強い。
どの人間にも、弱さと強さの両面がある。
弱さを理解してこそ、真の強さもわかるのだ。
弱さを受け入れた人間は、他人の弱さに寛容であり、
弱い他人のために自分の強さを喜んでつかう。
また、ありのままの自分を受け入れているから、
自分の手綱を簡単に他人に渡したりしない。

他人に打ち勝つ強さではなく、他人を受け止める強さが欲しい。
子供のころ、近所にどんな悪ガキでもにっこりと受け止めてしまうような、
優しいおばあちゃんがいた。
こういった人が、一番強いのかもしれない。


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