どれだけウンコをすれば充分なのか? [闘わなきゃ、現実と]
どれだけ苦しめば充分なのか?
どれだけ悩めば充分なのか?
どれだけ寂しい思いをすれば充分なのか?
どれだけ嫌われれば充分なのか?
どれだけ人を傷つければ充分なのか?
こういった問いかけをする奴に言いたい。
「お前は、どれだけウンコをすれば充分なのか?」、と。
人は生きている限り、ウンコをする。
「もう充分ウンコをしたから、明日からウンコはしません」
という風にはならない。
それと同じように、生きると言うことは
苦しくて、悩ましくて、恥ずかしくて、空しくて、寂しい。
憎しみ、嫌悪、争い、傷つけ、傷つけられることを避けられない。
「どれだけ、×××をすれば充分なのか?」という問いは、
「どれだけウンコをすれば充分なのか?」と同じぐらいナンセンスだ。
厄介ごとから逃れようと思ったら、死ぬしかない。
厄介ごとを恐れる人は、
「波風を立てないように、目立たないように」と息を潜めて下を向いて暮らす。
それで生きていると言えるのだろうか?
それは早い死ではないか?
熊を恐れて、死んだふりを一生続けて、そのまま死んでいくようなものだ。
お前は、死んだふりをするために産まれてきたのか?
ちがうだろう。
いいっすね!
by (2005-07-24 01:40)
そう、違う。これだけやれば十分、なんてないですね。
それを生きてる間にに終わらせようとすると苦しくなるのでしょうね。
そしてそう思って生きてる人はかなり多い。
終わりなんてなくて、終わるのは死んだ時で
限りのある数直線みたいに、最後の数字には幅がない。
そこで終わり。ゼロから最後の数字までの間に可能性がある。
そんなイメージを持ちました。
死ななきゃ答えの出ないものを、死なずに分かるわけがないですね。
私は死んだ振りをして生きたくないし、まだお迎え(・・・とはよく言ったものです)
が来ないうちに前もって死んだり、ましてや本当に死んだりなんて出来ない。
だから生きますよ、心にinfinite sadness(by Smashing Pumpkins)を抱えて
悩みながら苦しみながらも。
by サラ (2005-07-25 21:24)
がいがんさん
どうもっす!
サラさん
サラさんのブログのコメントにも書いたけど、
悲しみを乗り越える最善の手段は、悲しみを味わうこと。
俺は悲しいときには、独りでめそめそしてしまいます。
ちゃんと悲しんでいるから、楽しい時に馬鹿笑いができる。
喜びがあれば、悲しみもあるのが人生。
そのどちらともちゃんと向き合うことで、深く生きられる。
悲しみから逃げる人間は、喜びも同時に失ってしまう。
だから、生きている実感がなく、人生が空しくなる。
自分の感情から逃げている人間は、他人の不幸を喜び、他人の幸せを妬む。
それはそうと、スマパンは英国らしい煮え切らない切なさが良い。
perfectは名曲や。
by katuo (2005-07-25 23:30)
「煮え切らない切なさ」・・・そうそう、そんな感じですよね。
perfectが入ってるアルバムは中でも切なさ満点ですよね。。
解散したあとビリーが始めたバンドZWANも良かったです。
やっぱり解散しちゃいましたけどね。
あのビリーのダミダミした声が癖になるとたまりません。
by サラ (2005-07-27 16:40)
正座していいます。
この文章があたしにとってのツボでした。ほかの文章もすごくハッ!tさせられたんですけど、
なにがって、もう、これが。
とにかくありがとうございました。
目が覚めました。
だるま落としでガツンといかれた気分です。
by がこ (2006-05-16 22:04)
がこさん
とにかく、どういたしまして。
ネガティブなものも、人生の一部と割り切って受け入れると、
新しい人生が切り開けると思います。
ただ、あまり貯めすぎるとしんどくなるので、毎日ウンコ。
これにつきます。
by katuo (2006-05-19 23:09)